吉本光蔵軍楽長 軍装品

制服史料

君ヶ代行進曲で知られる吉本光蔵軍楽長ご使用の品。ご親族のT様より大切にお預かりさせて頂いております。

明治37年改正海軍准士官以上軍帽。明治37年7月以前は市松織黒毛線ではなく金線が巻かれていた。大正以降の物と比べ目庇が小さく通気の鳩目が無い。帽章は錨下部の尖りが強く特に古い形状の為、軍楽師時代の物と思われる。(明治18年任軍楽師、明治35年任軍楽長)礼装用の前立は頂上の桜の直径が小さい古いタイプ。

剣帯は明治20年制定(23年の中改正により黒革から白革になる。)の幅が細いタイプが現存しており、明治37年以降の幅が太いタイプは朽ちてしまったのか金具のみ現在している。(明治37年に軍楽長正衣の剣帯が白革製から黒革製に改正されるので、礼装用で黒護謨塗の高級品だったと思われる)M.Yのイニシャルがある。

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勲記章。左から旭日章、瑞宝章、金鵄章、明治二十七八年従軍記章(日清戦争)、明治三十七八年従軍記章(日露戦争)、日本赤十字社終身社員章。

軍楽師外套用肩章。(船匠長の様な色をしているので、船匠長と交換した物の可能性も捨て切れない。)

その他金具類。経年劣化などによって処分された服から外されたボタン等。音叉やネクタイピン、シャツのボタンなど軍服以外の物も含まれている。

リングがついたボタンは夏衣用、黒糸がついた物は軍衣用。ズボンの尾錠や礼装用肩章のピン等も残されている。

長剣袋。M.Y.のイニシャルがある。

勲記。旭日章、金鵄章、日露の物は胃潰瘍による没後の明治41年に発行されたもの。(日露戦争により大勢叙勲した為、勲記の発行が遅れていた。)

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