明治5年に兵部省が陸軍省と海軍省に分かれた頃より陸軍では信号喇叭を国産化していた。上のラッパは比較用にフランス製、下のラッパは日本陸軍で使用された国産品。宮本と言う銅壺職人が主任として製造を任されており、宮本喇叭製作所から納入されていた。
極めて初期のラッパには菊の御紋が入っている。その下は”◯近”と刻印されており近衛局で使用された喇叭と分かる。
明治11年に製造された物。黎明期だけに刻印が迷走していたのか、複数の種類がある。
明治18年に日本独自開発の信号喇叭が制定されるまで陸軍はこのフランス式を、海軍はイギリス式のラッパを使用していた。
飾紐に関しては時代や部隊によって幾つか種類があり、下士用や兵用、木綿製や絹製があった。