喇叭鼓隊用楽器

楽器史料

喇叭鼓隊用楽器、左から、大喇叭、中喇叭、小喇叭、長喇叭。

喇叭鼓隊は昭和2年に陸軍の大沼哲楽長補が考案した信号喇叭で編成する音楽隊。当時まだピストン付きの楽器が高価だったので安価な信号喇叭で音楽隊を作る事によって小中学校でのバンド活動を活発にさせ、金管人口を増やす目的があった。大ヒットし、小中学生だった奏者が社会人になる昭和10年代にはかなりの金管楽器が売れる様になった。戦中の軍楽隊や戦後の各種音楽隊でも喇叭鼓隊経験者が数多く活躍した。第一回吹奏楽コンクールでも喇叭鼓隊の部があったが、考案した大沼哲楽長の戦死もあり戦後は全く廃れてしまった。長喇叭のみファンファーレ用として戦後も製造された。

試作も製造も日本管楽器が一手に取り扱った。昭和一桁頃の刻印は星と検定済、昭和10年代は陸軍戸山学校検定済の刻印になる。

他にも様々な刻印の類似品が存在するが、ニッカンのカタログには模造品に御注意と書かれている。

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